越後の国探訪2。。。謙信は永遠英雄ナノダ。

上杉謙信の居城へ初見参デス。。。
先週の赤倉~妙高温泉ツアーの翌日、友人と上越へ立ち寄りアシタ。
以前から気になる観光スポットの一つ、チョー有名な、戦国ドラマにたびたび登場する春日山城へ出陣しましたデス。
イメージ 2

イメージ 1
初めてのお登りで、入口付近で友人と2名でまごまごと迷子のようにしてたら、一人のご老人が心配そうに、こちらに来てくれました。
なんとボランテイアのガイドさんでした。これから一緒に案内してくれますまんて、まさに天の声です。
アリガタヤ。。。直江津市民のサービスに便乗して、ほぼマンツーマンでご案内をいただきました。

越後の国はまさに瑞穂の国、、、あたたかい黄泉の国です。

イメージ 3
イメージ 4

最初は、、、毘沙門天。。。なんじゃこりゃ~と思ってたら、、、スケールの大きさにビックリ。また、現在の場所まで移動したとの説明にまたビックリ。ガイドさんの説明はとても明快明晰でわかりやすかったです。
やはり謙信は只者ではない。。。上杉謙信は義と毘の象徴。直江津市民の、新潟県民の誇りであると。。。実感した次第です。
たまには、謙信でオノレの汚れた身とココロを健診するもいいかもよデス。

またまた、歴史探訪ウンチク。。。。ふむふむと偉そうでスイマセン。。。ジイジイの戯言です。
アシカラズ
春日山城。。。上杉謙信の城。難攻不落の山城とよばれ、とにかく天然の要害。
山城といえば、尼子氏の月山富田城、朝倉氏の一乗谷城、浅井氏の小谷城などと名城があるが、春日山城月山富田城級の堅城と言われている。標高182mの鉢ヶ峰山頂にあったこの城に建物はすでにないが、井戸跡や多数の曲輪、復興の毘沙門堂が残る。
 永世年間に、越後の国守で上杉氏の守護代長尾為景直江津が守りに弱いことから、春日山に築城したのがはじまり。為景は謙信(長尾景虎)の父で、謙信の代になって関東管領上杉憲政家督を継ぎ、上杉謙信と名を改める。
それから29年、春日山城を拠点に、川中島の戦いなど合戦を繰り広げることになる。1578(天正6)年、謙信が病没し景勝が上杉家を相続、春日山城にて約20年居城した。このとき、山上の生活が不便になり次第に山麓に建物が移っていき、山城が機能しなくなる。
1598(慶長3)年、景勝は秀吉の命により会津若松に移封になり、あとに堀秀治が入封したが、その子、忠俊の代に山城からより便利な福島城に移り、春日山城は約100年あまりの命を終え廃城となった。
 上杉氏の菩提寺林泉寺に残る門は、春日山城の城門を移築したものといわれ、在りし日の春日山城がしのばれる。今も険しい春日山には謙信時代まで多数の曲輪、重臣たちの館跡が残り、この城がいかに堅城だったかが、うかがえる。

イメージ 5
イメージ 6
オマケニ懐かしい大河ドラマの謙信を集めてみました。
まずは、謙信と言えばナンテタッテ「天と地と」。。。1969年放送の石坂浩二だね。キレイな俳優さんです。いまもね

1988年:大河「武田信玄」では、柴田恭兵が謙信だったゼヨ。。。性格が違う?勘違いかな?

次は、軍神:ガクトさんの謙信。2007年「風林火山」です。神がかりな謙信でした。なんせ矢が当たらないのです。
昨年までは、上越市開催の謙信祭りで毎年登場してたらしいです。


こんなんもあったね。2009年「天地人」:阿部寛さん。

他にもありそうでが、今回はこの辺でオシマイオシマイです。
ではまた、謙信公にあかやり毘と義を大切に、、、余生を送りたいと思う、マルデ晩秋ジイジでした。
ではまた。ハブアナイスセプテンバーです。