越後の国探訪2。。。謙信は永遠英雄ナノダ。
上杉謙信の居城へ初見参デス。。。
以前から気になる観光スポットの一つ、チョー有名な、戦国ドラマにたびたび登場する春日山城へ出陣しましたデス。
初めてのお登りで、入口付近で友人と2名でまごまごと迷子のようにしてたら、一人のご老人が心配そうに、こちらに来てくれました。
なんとボランテイアのガイドさんでした。これから一緒に案内してくれますまんて、まさに天の声です。
アリガタヤ。。。直江津市民のサービスに便乗して、ほぼマンツーマンでご案内をいただきました。
越後の国はまさに瑞穂の国、、、あたたかい黄泉の国です。
最初は、、、毘沙門天。。。なんじゃこりゃ~と思ってたら、、、スケールの大きさにビックリ。また、現在の場所まで移動したとの説明にまたビックリ。ガイドさんの説明はとても明快明晰でわかりやすかったです。
たまには、謙信でオノレの汚れた身とココロを健診するもいいかもよデス。
またまた、歴史探訪ウンチク。。。。ふむふむと偉そうでスイマセン。。。ジイジイの戯言です。
アシカラズ
山城といえば、尼子氏の月山富田城、朝倉氏の一乗谷城、浅井氏の小谷城などと名城があるが、春日山城は月山富田城級の堅城と言われている。標高182mの鉢ヶ峰山頂にあったこの城に建物はすでにないが、井戸跡や多数の曲輪、復興の毘沙門堂が残る。
永世年間に、越後の国守で上杉氏の守護代、長尾為景が直江津が守りに弱いことから、春日山に築城したのがはじまり。為景は謙信(長尾景虎)の父で、謙信の代になって関東管領の上杉憲政の家督を継ぎ、上杉謙信と名を改める。
それから29年、春日山城を拠点に、川中島の戦いなど合戦を繰り広げることになる。1578(天正6)年、謙信が病没し景勝が上杉家を相続、春日山城にて約20年居城した。このとき、山上の生活が不便になり次第に山麓に建物が移っていき、山城が機能しなくなる。
上杉氏の菩提寺、林泉寺に残る門は、春日山城の城門を移築したものといわれ、在りし日の春日山城がしのばれる。今も険しい春日山には謙信時代まで多数の曲輪、重臣たちの館跡が残り、この城がいかに堅城だったかが、うかがえる。